相撲界の乱

大相撲・花籠部屋(元関脇太寿山が花籠親方)が、次の夏場所限りで部屋を閉じることになった。部屋の経営難が理由であるが、ここ最近は親方が死去したり、弟子が減少したりしていて、それによって相撲部屋が減少していて、最大60近くあった相撲部屋は、今回の花籠の閉鎖で48部屋となった。現在ある部屋の中でも、現在の師匠が定年になることによって、継承者が現れない限り、部屋の閉鎖は相次ぐと見られていて、減少はまだ続きそうである。背景としては、年寄株を協会が一括管理することになると見られており、そのことが部屋の経営にも影響を与えているという。それとは関係ないが、花籠部屋は旧花籠(元幕内初代大ノ海→元横綱輪島)時代は横綱初代若乃花(元二子山)、先述の輪島を初めとして、大関魁傑(現放駒)など、多くの幕内力士を出したが、1985年に当時の花籠(元横綱輪島)が年寄株を借金の担保にしていたことの責任を取って協会を退職し、それによって旧花籠は消滅し、当時の所属力士は放駒部屋に移籍した。その後、現在の花籠親方(元関脇太寿山)が1992年に部屋を再興し(新花籠)、関取2人は出したものの、経営が思わしくなったようで、今回部屋を閉じることになった。果たして、このような事態を相撲協会はどのようにして乗り切るのであろうか。
また、話は変わるが、立浪一門の総帥・立浪親方(元旭豊)が、1月に行われた理事選で、一門の候補者(友綱)ではなく、貴乃花親方に投票したことを一門の他の親方から責められた結果、その責任を取って、立浪一門を離れることになった。立浪部屋は69連勝で知られる昭和の大横綱双葉山、戦前から戦後の困難期に相撲界を支えた横綱羽黒山、大いに期待されながらも、優勝なしで角界を去った横綱双羽黒など、多くの幕内力士を輩出した。しかし、現在の立浪が先代立浪(元関脇安念山→羽黒山)の娘と離婚したことがこのような事態を引き起こしたといえる。何がともあれ、立浪一門の名前が消えることになった。それに変わる名称として、理事の雷親方(元幕内春日富士)の名を取った「雷一門」や、かつての名称(立浪・伊勢ヶ浜連合)にもあった「伊勢ヶ浜一門」などがあがっている。その一門には、横綱白鵬大関白馬富士などがいて、角界のトップがいるその一門でこのような騒動が起こることは、所属する力士にも悪影響を与えることになりそうである。