1967年の青函連絡船

今回は、1967年夏の青函連絡船について紹介します。そのころの青函連絡船は、津軽丸型の船舶7隻が旅客輸送のメインとなっていたが、貨物輸送では、2隻残っていたタービン船、津軽丸形よりも遅い速度であったディーゼル船3隻が活躍していた。本州側の接続列車を見てみると、東北本線が全線電化される1968年10月のダイヤ改正以前なので、その頃の特急「はつかり」は、上野〜仙台間は常磐線経由のディーゼル特急であった。一方の北海道側では、特急「北斗」、「おおぞら」、「北海」、「おおとり」の4本がメインとなって活躍していたが、急行の方を見ると、「ていね」、「アカシヤ」、「たるまえ」といった今はない名称の急行もあった。その頃の青函航路は、臨時を含めると11,5往復となっており、貨物便を含めると結構な数が運行されていて、青函航路がこの時期に全盛期を迎えていたということができる。
1967年8月現在の青函連絡船ダイヤ
函館発〜2 0時25分発、254 4時45分発(8月11〜16日運行)、106 7時20分発、210 9時40分発、304 11時55分発、208 12時35分発、206 14時25分発、6 16時50分発、310 17時25分発(8月5日〜18日は18時45分発)、4 19時15分発 102 23時45分発(8月11〜20日は0時1分発)
青森発〜1 0時1分発、101 0時10分発、253 2時20分発(8月22日まで運行)、255 4時50分発(8月23日まで運行)、103 6時40分発、3 7時5分発、5 9時40分発、207 12時5分発、209 14時30分発、309 16時45分発、105 18時35分発(11月30日まで運行)、107 19時10分発
所要時間〜3時間50分