日本史研究④

今日は、日本史研究の4回目です。今日取り上げるのは、高倉天皇の子息たちの名前です。第1皇子(後の安徳)は、言仁といい、天皇家では普通の名前ですが、第2皇子以降はなぜか人名の下の名前のような名前が付けられていて、第2皇子(後の後高倉院)は守貞、第3皇子は惟明、第4皇子(後の後鳥羽)は尊成となっています。なぜそうなったのかについてですが、当時は平氏の全盛期で、もしかしたら平氏はそれらの皇子が成長した場合は、皇位を狙う可能性があると見て、いつでも臣下に降下することができるように、そういう名前にしただろうと私は思います。