ブラタモリ

今日のブラタモリは静岡のことをやっていたが、江戸時代の静岡は町人町と武家町の2つに分かれていた。武家町はその街を作った徳川家康の死後もそのままになっていた。もしかしたら、その理由としては、江戸が攻められたときに、幕府はその武家町を活用しようと思ったのではないかと思う。